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2025.06.26

MEDIA

GQ KOREAインタビュー“飾らないのが僕のコツです”

散らばったゴムラギ(かけら)を集めるチャン・ドンユンの手が触れるところは。
 


 

GQ       ゴムラギという言葉をどうやって知ったんですか?

DY        粉々になったかけらという意味ですね、餅のかけらみたいな。

GQ       “散らばったゴムラギ(かけら)のようにまごつく彼の唇には/しゃもじのような形のオールの跡が残っている”という、17歳のチャン・ドンユンさんが書いた詩を読みながら、国語辞典を調べました。

DY        僕が書いた“三代続くカヌーは地上へ行く”って詩ですね(笑)あの頃は文学少年で。文学が好きだと表現力が豊かになるんですよ。

GQ       小学生の頃から、人に頼まれなくても詩を書いていたと。“サツマイモ貨物列車と黒い馬”“足裏を見る”“ほうき”…。オンラインで一部公開されているエッセイ集で少し読みました。

DY      (印刷した詩を見て笑いながら)なんて純粋で汚れのない···。僕がシャープペンで書いた原本も家にまだ残ってます。

GQ       でも、この話者の視点がどこか寂しげに感じられました。

DY        そういうシニカルな部分がありましたね、僕が。思春期がひどかったので、ちょっと悲観的に世界を見ていました。

GQ       そうだったんですね?

DY        階層の差とかそういうことにすごくシニカルでした。それがだんだん穏やかになって(笑)中学生の時に書いた詩を見ると変ですね。まさに中二病っぽい感じで“世の中はクソだ”という気持ちでした。でも高校になると周囲の人に視線が向き始めたんです。誰かを観察しようとか、どういう詩を書こうとか、どういう作品を作ろうとか意図したわけではないのに、今ここにある詩を見てみると、屋台のたい焼き屋のおじさん、サツマイモを売る人、清掃員のおじさん、ホームレスの人たち···、表現の仕方に違いはあるかもしれませんが、そういうつい見過ごしてしまいがちな存在に自然と惹かれていたんです。
 


 

GQ       今も詩を書いてますか?

DY        もうずいぶん前から書いてませんね。

GQ       書いてないんですね。

DY        ええ、最近は写真を学んだりして、つまりそれが演出に変わったんだと思います。

GQ       つまり媒体が変わったんですね、詩を書くのをやめたのではなく。

DY        そう、媒体が変わったんです。中学生の頃から映画も好きで、総合芸術として面白さがあります。まだ未熟ですが、やればやるほど楽しいですね。

GQ       チャン・ドンユンさんが演出もするという話を聞いたとき、金融学専攻からコンビニで強盗を捕まえたニュースのインタビューをきっかけに俳優デビューしたのと同じくらい驚きました。もちろん文学少年だったとはいえ、“突然”という表現が適しているでしょうか…?

DY        接点がありませんでした。俳優という職業は本当に突然でした。演出は、学生時代に詩を書いていたからシナリオも書いたんです。そういう創作欲求はずっとあったんだと思います。何かを作りたい、自分の話を。でも、教育熱の高い地域で育って、勉強以外の方法も道も全く知らなかったんです。だけど俳優になって、逆にアクセスできるようになったんです。

GQ       近道を見つけたようですね。

DY        そうですね。俳優という職を得たことで、むしろ演出に近づいたんです。
 



GQ       高校生の時に書いたシナリオはどんな内容ですか?どこかに公開したことはありますか?

DY        全然ないです。その頃は『スナッチ』という映画が好きでした。ブラッドピットが出演していて、ガイ・リッチー監督が手がけたクライム・エンターテインメント映画なのですが、そういうタイプのシナリオを書いたりしていました。

GQ       『麹(原題)』は公開するんですか?現在のチャン・ドンユンが脚本・監督を兼ねる最初の長編映画。

DY        しないと、しないと(笑)昨年の初めに撮影が終わり、今年劇場公開を目指してます。(インタビュー後、7月3日〜13日に開催される第29回プチョン(富川)国際ファンタスティック映画祭に公式招待が決定)

GQ       空の化粧品瓶に詰めて学校でもちびちび飲むほどマッコリを愛する醸造所の少年、18歳のダスルが消えた麹を探す物語。

DY        そうです。今は全く違う映画になりましたが。

GQ       全く違う映画に?

DY        あ、『麹』で合ってます。でも最初のきっかけは、普段からこんな作品を一緒に作ったら面白いんじゃないかとあれこれ話していた撮影監督のイ・テドンさんとの会話でした。以前に制作した作品(『僕の耳になって』チャン・ドンユン脚本·監督初の短編映画)も、カメラ一台でイ・テドン監督が手伝ってくれたんです。コロナ禍の時期に、一緒に話していたことがあって、昔SARS(重症急性呼吸器症候群)が流行したとき、キムチを食べれば感染しないというような噂があったじゃないですか。それに着想を得て、マッコリの有益な菌がコロナを克服するというような、ある種の盲目的な信念が現実化し、それが政治とも複雑に絡み合っていく…そんなウィットのある、面白い映画を作ってみようと考えました。でも、ふと思ったんです。今じゃないとできない話もあるかもしれないなと。演出家として経験を積んでいけば、後になって考慮しなければならないしがらみが増えるかもしれないし、本当に自分がやりたい物語を語る機会がどんどん減っていくかもしれない。もちろん演出家としてどうなるかはわからないけれど。だから、今しかできないと思って始めたんです。テーマとしては、私たちはそれぞれ何かしらの信念を持って生きているじゃないですか。たとえば“努力は裏切らない”という信念を持つ人もいれば、“正直でなければいけない、嘘をついてはいけない”という信念を持つ人もいる。あるいは“お金がすべて、お金のためなら何でもやる”という人もいる。それぞれ信念や人生哲学を持って生きているけれど、それが揺らぐ瞬間というのが来るじゃないですか。

GQ      来ますね。

DY        僕は、努力は報われると思って生きてきたけど、実際に生きてみると…はぁ。そうじゃないんだけど?なんでこんなことに?って、信念が揺らぐ瞬間ってありますよね。その揺れ動く姿こそが、麹を見つめるダスルの姿なんです。そして、そんなダスルを見つめる周囲の人たちの反応…それを象徴的に麹を通して語りたかったんです。マッコリや麹というモチーフはそのまま残っています。今の『麹』も、信念についての物語です。
 


GQ       そうですね。消えてしまった麹、ダスルがあれほど探し求める麹には、何か象徴的な意味が込められているように感じられます。そして、そこには監督としての思いも込められているのではないでしょうか。

DY        そうです。ここまで比喩的で象徴的な映画を作ろうとしたわけではないんですが、難しく捉えれば難しくもなり得る作品ではあるけれど、僕はすごくシンプルな映画だと思っています。観れば、明確に伝わるはずです。

GQ       ダスルと麹はどうなるのか聞くとネタバレになりますね?

DY        ですね、完全なネタバレです(笑)。

GQ       では、チャン・ドンユンさんにとって麹のような信念は何ですか?

DY        僕もその信念が揺らいでいるから、こういう映画を…(笑)でも最近の僕は、自分の職業としてやっていることなら、どんなに小さなことでも、ちゃんと一生懸命にやり遂げたいと思っています。昔は、大きな軸に集中しようとしていたんです。あからさまに言えば“俳優は演技さえうまければいい”くらいに考えていたというか。作品を選ぶところから、その中でどう演じるかといった大きな部分に集中しようとしていました。でも、そうしていると、それ以外のことにおろそかになる時があったんですよね。たとえば、“月火ドラマ、夜10時からぜひご覧ください”みたいな宣伝コメントを録音するときに、今は作品に集中すべきだからこのコメントは早く終わらせよう、なんて思っていたこともあった気がします。でも、そんな一文にだって心を込めることができるじゃないですか。そういう一つひとつの積み重ねが、結果的に大きなものになるって、今はわかるようになった気がします。最近はそんな考えを持って生きています。
 



GQ       突然俳優になったのに、むしろ元々あった監督の夢に近づいていくとは。でも映画を実際に作るのは、短編でも長編でも簡単ではないでしょう。

DY        簡単ではないですね。

GQ       でもどうやって進めてるんですか?

DY        僕の性格上、決断力と推進力があるのが長所だと思うんです。学生時代もリーダーをよく任されて。俳優という道がどうなるか分からないまま飛び込んだのも、僕がとりあえずぶつかってみる性格だからです。最初に短編映画に挑戦したときも、どうやって作るのか周りを観察しながら、協力していただきたい方々にすべて直接会いに行ってお話ししました。こういう話をしてみたい、こんな映画を作りたい、よろしければ参加していただけませんか?と。ロケ地の手配も全部自分でやりました。というのも、本当に環境が厳しくて…お金も…長編についても実は語りたいことがたくさんあるんですが。
 



GQ       ぜひ聞かせてください。

DY        一つ例を挙げると、僕の父は今は定年退職しましたが、以前は校長先生だったんです。それで現職の父の同僚の方々にお願いして学校のロケ地を手配してもらいました。地方撮影のときは予算が本当に少なかったので、父の同僚の先生のお宅に一緒に住まわせてもらいました。撮影監督さんと現場編集のスタッフさん、そして僕の3人で、他人の家庭にお世話になりながら、赤ちゃんのお世話もして。

GQ       えっ…他人の家で!?(笑)

DY そういうことが面白いんですよ(笑)とにかくぶつかってみる。生き生きしています。性格的にそうなんだと思います。もちろん、助けてくれる方たちのおかげでもありますね。

GQ       そうやってお願いして、大半の人が受け入れてくれるんですか?断られることはない?

DY        俳優という肩書のおかげもあると思います。否定できません。TVで見たことある人なら好意的に見てもらいやすい。でも、とにかく僕は本気の気持ちを伝えようとしています。もちろん断られたこともあります。たとえば製作支援や配給支援など、大きな部分では断られたこともありました。でも、作品を作る過程で人と出会うことについては大丈夫でした。皆さん本当にたくさん助けてくださいました。

GQ       制作支援・配給支援で断られたら、どうするんですか?

DY        叶うまでやるんです。現実的な部分ですよね。どうするじゃなくて、叶うまでやるのみ。でも今の独立映画の現状はどこも苦しいので、僕もその現実を体感しています。

GQ       お願いが通りやすくなるようなコツは?

DY        飾らないのが僕のコツです。正直に。例えば学校にお願いするとき、嘘をつくことだってできるじゃないですか。こんな映画になるという内容をごまかして伝えたり、こんなメリットがあると誇張して説明したり。でも、僕はただ正直に話します。こういう話で、予算はありません。だから助けが必要なんです、と。今回の映画では、父の同僚の先生方にたくさん協力していただいて、少しはスムーズに進みました。とにかく僕は、いつも直接お会いして、どこであっても自分の足で伺って、面と向かってお話しするようにしています。書面だけだと、本当の気持ちが伝わらないかもしれないから。
 



GQ       創作欲がもともとあるとおっしゃってましたが、それでもチャン・ドンユンさんが詩を書き、映画を作るのはなぜでしょうか?なぜ自分の話を語ろうとするのでしょうか?

DY        高校の詩の授業で先生が言ってくれたことがあって、自分の詩を誰かに見せるのは、身体を裸にされるようなものだと。当時、本当に共感して。自分で書いたものを誰かに読まれるのが恥ずかしくて、裸にされる感じでした。

GQ       でも先ほど詩を見せてもらったときは、堂々としていたじゃないですか。

DY        人が読んでくれて、反応があるのが楽しい。お互いに話を交わせることが、裸になるような恥ずかしさに勝つんです。ある巨匠の監督がおっしゃっていたのですが、自分でも自分の映画がどんな映画になるのか分からないそうです。観客に会って初めて、それが完成するのだそうです。作ったら終わりではなく、誰かに見てもらって初めて映画が完成するんだと。自分の詩を読んでもらったり、自分の映画を観てもらったりして、人々が何かを感じて語り合ってくれる。それが醍醐味だと思います。その面白さが、恐れを上回るんだと思います。たとえそれが称賛でなくても、なんでああいう設定にしたの?キャラクターが変じゃない?といった、荒っぽいやり取りがあっても、それ自体が文化だと感じます。自分が作った物語がそういう評価を受ける立場になるという、その面白さの方が大きいんです。

GQ       怖くても、怖くないんですね。

DY        みんなで分かち合うものだから。


写真提供:GQ KOREA
出処:https://www.gqkorea.co.kr/?p=328556